お初にお目にかかります。
たつまと申します。
新年度始まりましたね。いつも通りの人のなかに新生活を始める人がちらほらと見て取れました。ドキドキわくわくなのか、不安と緊張で押しつぶれそうなのか。どうなんでしょうね。どっちもですかね。わかんないですね。みんな複雑そうな顔して歩いてました。
もくじ
かくいうぼくも今日から社会人なんですよ。
区切りも区切りだし、これから仕事だけじゃつまんないし、
ということでブログをぽつぽつと書いていこうかなと。ブログのタイトルとか趣味趣向とかはとりあえず置いといて、この前、大学を卒業したときに思ったことを書いてみようかなと。
3月って別れの季節ですよね。そらさみしくなるよね。
でもなんでお別れってさみしいんでしょう。
ぼく自身、小中高の卒業式で感極まることもなかったし、大学に入って先輩方を追い出すときもグッとくるものはなかったんですよ。
会いたい人にはすぐ会えるし、ちゃんと予定合わせて会うだろうし。小学校中学校なんて、卒業したところで、すぐにまた中学高校で嫌というほど顔を合わせるしね。
会いたいと思えない人はお別れしてもさみしくないし。
ってな感じで3月にセンチメンタルになれずにここまで育ってしまったんですよ。センチメンタルになってた先輩方を見て、「この人たちは何がそんなにさみしいのだろうか」と疑問を抱くくらいでした。冷めた人間でしたよまったく。
ところがですよ
いざ、自分が卒業する立場になると、ものすごくさみしいじゃありませんか‼
どういうことですか!なんですかこの気持ちは!予定と違うじゃないですか!
3月の中旬くらいから突如センチメンタルに急襲されてしまいました。
なんでなんすか。3月さん。当事者になると急に攻めてくるじゃないですか。
こっちはそんなつもりなかったんですよ。困っちゃうなあもう。
なんで急にさみしくなってしまったのか考えました。
気づきました。
「いつもの時間」がなくなってしまうことが
ものすごくさみしいことなのではないかと気づきました。
卒業を機に、それまでの心地よかった「いつもの時間」がなくなってしまうんですよね。
朝のちょっと臭い満員電車とか、
電車の音にかき消されながら他愛のない会話を続けようとする帰りの電車とか、
完全に自分の別邸であった研究室とか、
良くも悪くも大学生活の8割を占めたサークルとか、
夜中の大学近辺徘徊とか、とか。
送り出す側には4月からもそれまでと同じ「いつもの時間」が流れるはずだからあまりさみしくなかったのかなと。
また同じ時間に同じことをしようと思えばきっと同じことはできるんですよ。でもきっとそれは「いつもの時間」にはなり得なくて、ただただ「あの頃を懐かしむ時間」になってしまうわけですよ。
もう学生定期では電車に乗れないし、
帰りの電車では他愛のない会話じゃなくて近況報告になるだろうし、
研究室の自分の席には顔も知らない後輩がいるだろうし、
サークルに顔出せば「卒業した先輩だ!」って言われて卒業したことを改めて実感するだろうし。
さみしいねえ。
新生活が始まって、まだ浮足立ってて落ち着かないけど、こんな時期にしか感じない感情な気がする。
次の3月はたぶんこんな感情になんないと思う。だからまあ貴重な機会だったということで。
ともあれ、新生活。この生活の中にまた「いつもの時間」があらわれてくれたらいいな。
ブログのデザインやら、広告やら、方針やらはまあおいおい考えるとして、初投稿はこんな感じで。
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